神戸はいい街です。
神戸はいい街です。
おしゃれで、静かで大人っぽい。
そして、ナガサワ文具センターがある。
仕事で、遊びで、数えきれないほど神戸を訪れました。
人生で初めて神戸に行ったのは約20年前。1995年の大震災の直後でした。
当時は趣味の無線雑誌の編集長をしていました。いまライターとして雑誌作りを手伝ってもらっている青山くんが同じ編集部で働いていました。地震が発生するとすぐ、無線という道具がぎりぎりの状況でいかに活用されているか次の発売号で載せようと思いました(というか、当時作っていた雑誌にとっては取材必至の現場でした)。
「青山~、ちょっと行ってきて」。
声をかけたとき、青山くんは、すでに大量のフィルムを入れたカメラバッグを机の脇に置いて準備していました。青山くんは大阪までなんとか新幹線で行き、その先からは徒歩で神戸、三宮を目指し、2日間現地の取材をして、編集経験2年目とは思えない素晴らしい記事を作ったのでした。青山くんが撮影してきた写真は、この世のものとは思えない悲惨な状況が写っていました。「天災とは恐ろしい」と背筋が本当に寒くなった記憶があります。
その後すぐ、自分も神戸に向かいました。
三宮の駅前に出ると、ビルが倒れ、残っているビルもほとんどがあらゆる方向に傾いてる光景が延々と続いている。足元の地面はどこにも水平なところがない。平衡感覚がおかしくなって、くらくらとめまいが続きました。
このときの取材先のひとつが須磨にあるマンションの一室。ここに仮設で作ったラジオ局のスタジオがありました。
電話回線は不安定で家族や知人の消息がなかなか確認できない状況。全国ネットのテレビや新聞はひとりひとりの消息までは細かく伝えきれない。そこで地元のラジオ局が市民の細かい消息を情報として集め「○○の○○です。元気です。○○の避難所にいます」といった内容を24時間放送し続けていたのです。
仮設のスタジオは、リビングルームが情報を集める拠点となっていました。避難所などから集まってくる消息情報をA7サイズくらいのメモ用紙に記入し、壁に貼り付けていくのですが、自分が行った時は壁の面積が足りなくなって、2つのホワイトボードにもいっぱい貼り付いていました。おそらく数千枚だったと思います。
「元気です」「○○病院にいる」といったものだけでなく、絶望的な内容もたくさんありました。アナウンサーはメモ用紙の束をめくりながら、淡々と読み上げていました。被災した人たちにとって、この放送はとても貴重なもので、ラジオという旧来のメディアが見直される大きなきっかけになりました。
そして、ラジオ、メモ、手書き、声…というアナログな手段が極限の場所ではとても大切なことを実感した取材でした。
20年が過ぎ、神戸は復興し、美しい街並みが広がっています。
でも地元の方と話をすると震災が残した大きな傷は見えないところにまだたくさん残っていると聞きます。
ナガサワ文具センターの「神戸インク物語」は、登場から10年で60色を超えるまでに広がっています(詳細は、趣味の文具箱40号をご覧ください)。神戸の魅力をインク色で世界に向けて発信し続けていますが、その発想の根幹には震災からの復興という強い思いが込められています。年末の恒例イベントとなった旧居留地のライトアップを見ていると、20年前に初めて訪れた神戸で見た光景が重なり、思わず立ち止まり感慨にひたってしまいます。
神戸市の「旧居留地ライトアップ」は、神戸市中心部の旧居留地にある建築7棟のライトアップと神戸インク物語がコラボし、照明の色彩にインク色をリアルに再現しています。(※現在は終了)
この記事は2016年12月9日に配信されたメールマガジンの内容を一部を転載して構成されています。各種情報は変更されている場合があります。
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清水 茂樹(しみず しげき)
1965年、福島県会津若松市生まれ。2004年より文具情報誌「趣味の文具箱」編集長。「ステーショナリーマガジン」「ノート&ダイアリースタイルブック」も手掛ける。ソリッドな黒軸、ネイビーブルー色のインク、風合いが育つ革、手のひらサイズが大好き。